教育の適時性と系統性
少しカタイ話ですので、読まれて「ふ~ん」程度で結構です。
「なるほど!」と思ってもらえればラッキー。
「???」でも、まっ、いいか!です。
さて、「教育」というと学校教育を思い浮かべる方が多いでしょう。学校での勉強が教育の一番わかりやすいところです。
しかし、社会教育や生涯教育といった言葉もあるように、学校の中だけが教育の場ではありません。卒業してからも、あるいは仕事の技を習得することや趣味を磨くことも広い意味で教育です。
学校教育は幼稚園でこんなことをして、小学校でこれを習って、中学・高校でこれを積み上げて・・と系統性があります。これは一般的な発育に合わせて考えられています。「一般的な」と書いたのは、個人差や個性もあるので、必ずしもこれに当てはまらなければならないわけではなく、大勢の人の平均的な発育発達という意味です。早くても遅くても、悪いわけではありません。
小学生で考えると、低学年の上に中学年の学習、さらにその上に高学年の学習を積み上げるシステムになっています。学習指導要領で1年生で習うこと(習得させたいこと)、2年生で習うこと・・と細かく決められています。これが系統性です。そして概ねそれは、6歳ならこれぐらいの発達、10歳ならこれぐらいの発達と平均的な発達曲線に合わせてプログラムが考えられています。ですから、6年生の学習をいきなり1年生にしても理解できなかったり、1年生の学習を6年生に持ってきても容易すぎて興味がわかなかったりします。それが適時性です。何歳ぐらいでこんなことを身に付けやすい、何歳ならこんなことも理解できるだろう、と先人が考えてくれています。先に述べたように例外は当然あります。人はそれぞれ発育発達が違いますから。しかし、同世代の周りの人を見て、まねをするということも大事なことで、学ぶの語源は真似ぶであるとも言われます。見よう見まねで、やってみたらできた!なんてこともよくあることです。教えてもいないのにできたとか、家族の影響で小さい子もできるようになったとかよく聞く話です。兄や姉の様子を見て弟や妹が早いうちからできるようになるということもありますね。適時性と言っても、人によって微妙に違うわけです。
成長すると一般的に体が大きく、重くなります。今日の1・2年生のマットへの飛び降りを考えた時に、身長が高くなると目の位置が高くなり怖さが増します。体重が重くなると着地の時の衝撃も増します。その点、体が小さく、軽いうちなら、怖さも少なくなります。(幼少期から身長の高い子、体重の重い子だって当然いますけど、ここでは「一般的な」話)小さな衝撃で着地することを覚えた子はもっと高いところから飛び降りてみようとステップアップしやすいわけです。慣れると平気なので、ケガも少なくなります。大人が大きくなってから急に真似をするとケガにもなりかねません。ご注意ください。
幼少期に外遊びの中で、壁から飛び降りたり、木登りしたりという経験は少なくなっているのではないでしょうか?危険なことをお勧めできませんが、私が子どもの頃は今では考えられないことも平気でしていました。(だから、いいというわけではないのはわかっています・・。)良くも悪くも、ここまでは大丈夫、ここから先はダメというラインを知らず知らずのうちに学習していたように思います。無茶をすればケガをするということもわかっていました。しかし、現代の子にはそのラインの見極めが難しいのではないかと思います。自分がけがをするだけでなく、他人をケガさせてしまうということも同じです。「これ以上はやったらアカン」というのを、大人に言われなくても、うすうすわかっていた気がします。古き良き時代なんて感傷的なことを言うつもりもないです。保護者の方の世代はさて、どうだったのでしょうね?時代で区切っていいのか、住んでいる地域で差が出るのかもわかりません。しかし、様々な世代、いろんな地域で育った人が入り混じって社会を形成しています。違いがあるからこそ、そこを調整することも必要になる。個人差や個性を認めた上で、違いを認めて新しいものを生み出す、そんなことが教育にも必要だとは思います。ただ、日本全国バラバラだと基準がなくなってしまうので、例えば学習指導要領といった基準を設ける必要はあるわけです。そして、それは時代に合わせて見直しもされます。
その時、その時にふさわしい勉強があり、それを計画的に仕組んでいるのが学校ですよ!とザックリまとめて終わっておきます。難しく考えすぎないように。
公開日:2026年07月06日 12:40:28
更新日:2026年07月06日 13:45:48